今年も残り数週間となったが、円は今年も弱い通貨となった。ドル/円相場が年初とほぼ同レベルにあるのでピンとこないかもしれないが、円は対ユーロではユーロ導入以来の最安値、対スイスフランでは史上最安値を更新。年初来で見た主要通貨の中の最弱通貨はドルであり、その次に弱いのは円となっている。つまり、今年あまり円安になっていないように見えるのはドルが弱かったからだ。このまま年末を迎えれば、円は5年連続で主要10通貨のうち8位以下という結果となる。
こうした中、今年は日本の長期金利にも動きがみられ、足元日本の10年債金利は2007年以来18年ぶりの1.97%まで上昇している。マーケットでは高市早苗政権による積極財政を懸念して長期金利が上昇しているという見方もある。たしかにそうした側面もあるだろうが、筆者は日本経済、そして日本国債市場が正常化してきているだけなのではないかと感じている。
と言うのも、07年当時の日銀の政策金利は現在と同じ0.5%で、当時はそこが政策金利のピークとなった。当時の10年債のピークは現在と同水準だった。今では来週にも日銀が政策金利を0.75%まで引き上げることが確実視されているわけであるから、10年債金利が当時よりも高くなり、2%を超えていっても全くおかしなことではない。しかも、当時のインフレ率はマイナス、現在はプラス3%前後である。同じ政策金利だったとしても今の方が長期金利が高くてもおかしくない。
日本の政策金利が0.75%まで引き上げられるのは1995年以来30年ぶりとなる。30年前のインフレ率は1%以下で、今のインフレ率の方が圧倒的に高い。当時の10年債金利は3%前後の水準だった。つまり、日本の10年債金利が来年3%台まで上昇してもさほど不思議なことではない。
日本の国債金利の上昇は、高市政権の積極財政に対する懸念というよりも、日本経済に起きている大きな変化を象徴しているのではないかと考えている。それはインフレ率に関する見方の変化だ。
これまでは多少インフレ率が上昇しても「いずれはデフレに戻るだろう」という考え方が支配していたと思われる。しかし、日本のインフレ率は既に3年半も前年比2%以上で推移しており、これほど長く2%以上のインフレ率が続いたことは過去40年間一度も無かった。多くの人が今まで経験したことが無いようなことが起きていると感じ始めるのも無理はない。つまり、日本人のインフレ率に対する考え方が、日本がデフレに陥る前の感覚に少しずつ戻っている可能性がある。
日本のインフレ率の上昇は人手不足が主因となっている可能性が高い。企業はビジネスを継続させるために賃金を引き上げて人を確保せざるを得なくなっているが、それには自社製品やサービスの価格を引き上げなければならない。人手不足による倒産が増える中、生き残った企業は価格を引き上げやすくなっている。しかも現在の人手不足は人口減少ではなく、労働時間の短縮が原因となっている。人口減少が労働市場に影響してくるのはこれからだ。つまり、日本におけるインフレ率上昇圧力は今後も長期間続くことになる。
ただ、長期金利がインフレ率、あるいはインフレ期待の高まりで上昇しても通貨は強くならないことは明らかだ。実際、日米10年債金利差は今年100ベーシスポイント(bp)以上縮小したが、ドル/円相場は年初と同水準にある。インフレ率にこだわらず金利が高い方の通貨が強くなるのであれば、トルコリラは最強通貨の一つとなっているだろう。
インフレ率、あるいはインフレ期待がデフレ以前の世界に戻っていくのであれば、日本の金利水準もデフレ以前の世界に戻らなければならない。政策金利がインフレ率を大幅に下回るという異常な政策は続けられないだろう。マーケットは日銀の政策金利の最高到達点についての織り込みを徐々に引き上げ、1.5%程度までを織り込み始めているが、来年その織り込み水準をさらに引き上げるかもしれない。そうなれば長期金利も一段と上昇する可能性が出てくる。
一方、日銀が何らかの理由で、インフレ期待の正常化にもかかわらず、相変わらず政策金利をわずかしか引き上げずにデフレモードを続けていると、日本の実質金利が大幅にマイナスという異常事態は続き、円相場は一段と下落することになるだろう。
筆者が来年最も懸念するのは、日銀にイールドカーブ・コントロール(YCC)政策再導入のプレッシャーがかかることだ。実体経済の変化に目を向けず、長期金利の上昇を「投機筋」のせいにして、日銀に国債購入の再増額、あるいは一定レベル以上への上昇を阻止する政策を再び導入させるようなことがあれば、円は大きく下落することになるだろう。
インフレ率が正常化してきた世界で、日本は金利をさらに上昇させ正常な水準に戻すか、更なる円安を許容するかの選択を迫られている。しかし、それは特に驚くようなことではなく、実際には当たり前のことなのだ。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*佐々木融氏は、ふくおかフィナンシャルグループのチーフ・ストラテジスト。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。2010年にマネージングディレクター就任、2015年から2023年11月まで同行市場調査本部長。23年12月から現職。著書に「弱い日本の強い円」、「ビッグマックと弱い円ができるまで」など。
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