「原油の国際価格が1バレル=200ドルまで上がることを覚悟しろ」――。イランが発したこのようなメッセージは単なる大言壮語に聞こえるかもしれない。しかしエネルギー危機の長期化とともに、原油価格はすぐに戦争前の水準に戻るとしたトランプ米大統領の予測よりも、イランの警告に現実味が増してくるように思われる。
米国・イスラエルによるイラン攻撃が3週間目に突入し、紛争は中東地域全体に広がっているものの、原油の国際指標の値動きという点では、驚くほど市場の反応は小さい。
北海ブレント先物の足元の価格は100ドル弱で、年初から約65%上昇した。確かに数週間前までは考えられなかった水準だが、9日に記録した直近高値120ドル弱はなお下回っている。
またイラン攻撃開始以降、世界の原油供給量のおよそ20%、日量2000万バレルが通るホルムズ海峡が事実上封鎖されていることを考慮に入れれば、原油価格は本来もっと跳ね上がっていてしかるべきだ。
16日の北海ブレント先物は、インドや中国、パキスタンのタンカーがホルムズ海峡を通過したとの報道を受けて小幅に下落した。一部の国は海峡を安全に航行できるかもしれないと示唆されたためだ。とはいえ輸送された原油・石油製品の量は極めて少ない。
投資家は依然としてトランプ氏に「疑わしきは罰せず」の理屈を適用し、今の危機が速やかに収まって、ホルムズ海峡は早期に再開されると期待している。そうした見方には「トランプ・プット」あるいは「TACO(トランプ氏はいつも最後におじけづくという意味)トレード」、もしくは「トランプ買い」とさまざまな呼び名があるとしても、多くの石油トレーダーが最終的にトランプ氏は市場のダメージを局限できると予想しているように見受けられる。
トランプ氏は「戦争が終われば、原油価格は極めて急速に下がるだろう」と言い切った。
しかしそうした楽観的見方と、戦火が拡大し、原油の現物市場では供給を巡る混乱が深刻化しているという現実の状況は整合させるのが難しくなる一方のようだ。
<現物市場の警告>
原油現物市場は、今のところ先物がほとんど無視している現実について幾つかの危険信号を発している。
例えばホルムズ海峡の外側から輸出されるオマーン産原油価格の北海ブレント先物に対するプレミアムは、2月時点で平均1バレル=0.75ドル程度だったのに、今は51ドルと過去最大に広がり、5月積み出し分の価格は150ドル前後まで上昇した。
S&Pグローバル・プラッツとロイターのデータによると、ドバイ産原油の北海ブレント先物に対するプレミアムも2月平均の0.90ドルから56ドルに高騰した。
こうした動きは、イランがホルムズ海峡の外側のオマーンやアラブ首長国連邦(UAE)のフジャイラ港の輸出ターミナルを繰り返し攻撃している中で、実際に供給可能な規模が極めて不確実な情勢を反映している。
特にアジアの精製事業者にとって、これは深刻な問題と言える。アジアは輸入する原油のおよそ60%を中東に依存し、代替調達先を探すのも困難なため、適宜適切な供給が行われるかどうかの切実さが急激に増しつつある。
ペルシャ湾岸から積み込まれた原油がアジアの顧客の手元に届くまで約1カ月を要する以上、ホルムズ海峡封鎖が続く日が増えるごとに、精製事業者が直面する供給不足の幅も大きくなる。
そうした緊張は既に痛みを伴う調整につながっている。アジア全般の精製事業者は目減りしていく在庫を維持するために稼働率引き下げに動き始めた。世界最大の精製時業者、中国のシノペック(中国石油化工集団)(600028.SS)は、原油供給不足の影響で、今月いっぱい生産量を当初計画から10%余り削減する方針だとロイターが伝えた。
同時に中国とタイは、世界的なさらなる需給逼迫リスクへの対応として、精製燃料の輸出も禁止した。
原油供給不足が進むにつれて、精製燃料価格も跳ね上がっている。アジアのジェット燃料価格は1バレル=200ドルに迫り、今月付けた過去最高の約220ドルに近い水準にとどまったままだ。
現在の危機はアジアに限られた話ではない。
ケプラーのデータに基づくと、昨年中東からホルムズ海峡経由で輸出されたジェット燃料の約4分の3、日量37万9000バレル前後が欧州向けだったが、イラン攻撃開始後に海峡を通ったカーゴは1つもない。
当然ながら欧州最大の石油精製・貯蔵・取引拠点のアムステルダム・ロッテルダム・アントワープ精製ハブのジェット燃料価格は1バレル=190ドルと、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後に付けた過去最高水準を更新した。
<供給ショックの影響>
今回とウクライナ危機の比較を通じて見えてくることもある。
ロシアはウクライナ侵攻前の段階で、欧州が輸入する原油の約30%、石油製品の約33%をそれぞれ供給していた。
そして侵攻直後には、世界最大級の産油国であるロシア(生産量は日量約1000万バレル)からの供給が途絶することが懸念され、その最悪シナリオは現実化しなかったもかかわらず、北海ブレント先物は130ドルまで押し上げられた。
モルガン・スタンレーによると、イラン攻撃に伴う物理的な供給途絶は、既に懸念されていた量を3倍余り上回っている。
原油市場がイラン攻撃開始を、比較的落ち着いた状態で迎えたのは間違いない。国際エネルギー機関(IEA)は、世界全体の供給量が需要量を日量370万バレル前後超過すると予想していたからだ。もっともそうした余剰分は現在の混乱によって消え去りつつある。
IEAが先週発表した加盟国の戦略石油備蓄4億ドルの協調放出計画は、当初の痛手を和らげる手段にはなる。ただ在庫を引き出したからといって、新規の原油供給の代わりは務まらない。
ホルムズ海峡が今すぐ再開されたとしても、すぐに安心できるわけでもない。IEAの試算では、イラン攻撃開始以来で日量約1000万バレルの中東産原油が閉じ込められた。これらの輸送を再開するには数カ月とまで言わないが、数週間は必要になる。
言い換えれば足元の供給ショックは現実の出来事であり、長引いてもおかしくない。
いずれホルムズ海峡が再開されれば、安心感から原油価格は当初急落する可能製がある。しかし現物市場の厳しい現実を踏まえれば、トランプ氏が約束した「正常な状態への復帰」がすぐ実現する展開に賭けるトレーダーは考え直した方が良い。
(筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)