金融市場が、8月28日のウォーシュ米連邦準備理事会(FRB)議長講演に対して見せた反応を一言で表現するなら「安堵」だろう。しかし、安堵は決して信頼の回復を意味しない。その信頼を取り戻すためには、ウォーシュ氏にまだ多くの課題が残されている。
ウォーシュ氏は、米西部ワイオミング州ジャクソンホールで開催されたカンザスシティー地区連銀主催の年次シンポジウム(ジャクソンホール会議)での講演で、FRBが掲げる2%のインフレ目標への強いコミットメントを表明。政策金利こそが目標達成に向けた最も有効な手段であると明確にし、必要と判断されれば利上げも辞さない姿勢を示した。
この発言は市場に大きな影響を与えた。金利先物市場では、9月の利上げ確率が講演前の約3分の1から、およそ3分の2へと急上昇。バークレイズ、ソシエテ・ジェネラル、ドイツ銀行などのエコノミストも、9月と12月の利上げを予想するようになっている。
もっとも、市場はウォーシュ氏がインフレ抑制を重視する姿勢を明確にした点を歓迎したとはいえ、その講演が「タカ派的」と評価されたのは主にそれまでの同氏の発言と比べての話だ。特に、7月の連邦公開市場委員会(FOMC)後の記者会見での発言が市場に不評だったことを考えれば、その反動も大きかった。
さらに今回の講演は、5月末にパウエル前議長から職務を引き継いで以降の約3カ月間、ウォーシュ氏がどれほどメッセージ発信でつまずいていたかを浮き彫りにしたとも言える。
EYパルテノンのチーフエコノミスト、グレゴリー・ダコ氏が指摘するように、ウォーシュ氏は就任から100日を経て、ようやく2%のインフレ目標を守る姿勢を明確に打ち出した。本来であれば、これはわざわざ説明を要するような話ではない。とりわけ労働市場が本人の言う「完全雇用に近い状態」にあるのであればなおさらだ。
つまり、講演は「決めて当然のシュート」を決めたに過ぎない。本当に問われるのはこれからであり、特に長期金利の上昇が続く状況で、信認回復に向けた本当の仕事が始まる。
<FOMC内では中間派に>
今回の「タカ派シフト」によっても、ウォーシュ氏は19人で構成されるFOMCの中で、ようやく多数派に近い中間的な立場に戻ったに過ぎない。
7月のFOMCで利上げを主張して金利据え置きに反対票を投じたクリーブランド地区連銀のハマック総裁、ダラス地区連銀のローガン総裁、ミネアポリス地区連銀のカシュカリ総裁の3人は、決して孤立した存在ではなかった。
実際、FOMC議事要旨によれば「複数」の参加者が0.25%の利上げを支持しており、「多く」の参加者が、インフレ率を目標水準へ戻すためには追加の金融引き締めが必要になると考えていた。
こうした政策担当者の中には、インフレ抑制の進展の遅さに対して我慢の限界が近づいている向きもある。シカゴ地区連銀のグールズビー総裁とカンザスシティー地区連銀のシュミッド総裁は、ジャクソンホール会議で「インフレとの闘いを最優先すべきだ」と強調した。また、その前週にはボストン地区連銀のコリンズ総裁も、近いうちに利上げが必要になる可能性を示唆している。
次回FOMCはわずか2週間後に控えており、ウォーシュ氏は今や、自らの発言を行動で裏付けるよう求められている。
FRBの判断が純粋に経済指標に基づくのであるならば、注目されるのは今週4日に発表される8月の雇用統計、そして来週発表される8月の消費者物価指数(CPI)と卸売物価指数(PPI)だ。
これら3つの指標が予想以上に弱い内容とならない限り、9月利上げへのハードルはかなり低いとみられる。ウォーシュ氏も講演で「FRBは単発の経済指標ではなく、トレンドを重視すべきだ」と訴え、「基調的なインフレにはここ数か月、目立った改善が見られない」とも認めている。
そのため、市場がFOMC直前まで利上げ観測を強め続けるのであれば、ウォーシュ氏がFOMCを再び据え置きへ導く理由は乏しくなる。
バンク・オブ・アメリカのエコノミストチームも「そうでなければ、ジャクソンホール会議の講演によって獲得した信頼を自ら損なうリスクがある」と警告した。
<トランプ大統領の影>
それでも2週間後のFOMCでウォーシュ氏が実際にどのような判断を下すのかについては、依然として不確実性が大きい。
その背景にあるのは、いつまでも消えない「政治的圧力」という大きな問題だ。ウォーシュ氏は繰り返し「政策判断はホワイトハウスの意向に左右されない」と説明している。だが、市場は完全には納得していない。
というのも、トランプ大統領が前任のパウエル氏に対して、公然かつ執拗に利下げを求め続けていたことを投資家は忘れていないからだ。実際、トランプ氏は8月31日にも「金利は引き下げるべきだ」という従来の主張を繰り返した。
トランプ氏は、ウォーシュ氏について「大いに尊敬している。彼はやるべきことをやるだろう」とも語った。しかしながら、ロイター/イプソス調査によれば、トランプ氏の支持率は第1次政権時代を含めた最低水準に落ち込んでおり、トランプ氏としては金利上昇よりも、経済てこ入れによる人気回復のためFRBに利下げを望んでいる。
一方、11月の議会中間選挙を前に、有権者にとって最も重要な問題は圧倒的に「生活費の高さ」であることも示された。つまり高止まりするインフレや長期金利上昇による借り入れコストの増加も、政治的には決して歓迎できる状況ではない。
いずれにしても、こうしたトランプ氏との関係や、議長就任直後からの対話に関する「失点」、さらにインフレ対応が差し迫っているというさまざまな状況を踏まえると、ウォーシュ氏が市場の信頼を完全に回復する道のりは容易ではない。
ジャクソンホール会議の講演で、ウォーシュ氏は確かにインフレ抑制について「言うべきことを言える人物」であることは示した。ウォーシュ氏はその信念を実際の政策行動で示すことができて初めて、評価が高まるだろう。
(筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)