欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁が2027年10月31日までの8年間の任期を終える前に辞任するかどうかは定かでない。しかし、ユーロ圏の政策金利を決定するトップとしての彼女の後継者争いはすでに始まっている。ラガルド氏の早期退任の可能性が初めて報じられた2月時点で、ユーロ圏経済の見通しは既に厳しかった。その後、米国とイスラエルがイランを空爆し、世界経済のリスクに新たな局面をもたらした。ラガルド氏の後任は強力な経済的な実績を示す経歴と政治的に巧みな手腕の両方が必要とされ、欧州を脅かす多重危機に直面しても革新的な策を打ち出す覚悟でなければならない。そのような稀有な人材を探し出すのが難しければ、ユーロ圏の首脳陣は現在有力視されている2人以外にも幅広い候補者を検討するべきだ。
こうした本命候補は既に浮上している。ブルームバーグによるエコノミストを対象とした調査によれば、ラガルド氏が早期に退任した場合はオランダ銀行(中央銀行)前総裁のクラス・クノット氏(58)が就任する可能性が最も高い。クノット氏は25年7月に退任して以来休養期間に入っており、ECBの総裁候補としての伝統的な条件を満たしている。11年にオランダ中銀総裁に就任した際は典型的なタカ派と受け止められた。しかし、ECBの当時のドラギ総裁がユーロ圏を存亡の危機から救うために編み出した新たな手段、とりわけ大規模な国債買い入れ策を支持した。
対抗馬と目されるのは、スペイン中銀総裁を務めたパブロ・エルナンデス・デコス氏(55)だ。現在は、いわゆる「中央銀行の中央銀行」とされる国際決済銀行(BIS)の総支配人を務める。クノット氏と同様、申し分のない実務家としての経歴を持つ。一方で、かつて危機にさらされたユーロ圏南部の出身であることから、景気後退の恐れに先回りしてECBの積極的な役割を促す「ハト派」の候補と受け止められやすい。
平時であれば、争いはこの2人に絞られるのが通例だ。彼らは21人のユーロ圏首脳に対して総裁の座を賭けた活動を続けるはずだ。クノット氏は南部の加盟国に対して、自らの金融面の現実主義への姿勢転換が本物だと納得させるために愛嬌を振りまいて攻勢を強めるだろう。デコス氏はその反対で、北部の財政タカ派の加盟国に対して、自らがスペイン出身だからといって、必ずしもハト派的なわけではないと説得しようとするだろう。イタリア人のドラギ氏は15年前、自らの国籍がトップの座に就く妨げにならないようドイツ政府を説得するためドイツ人の広報コンサルタントを雇った。彼は最終的に勝ちを得た。
しかし、現在は平時でない。ECBの次期総裁に課せられた任務が順風満帆ではないことだけは確かだろう。トランプ米大統領という「ハリケーン」の世界経済への影響はトランプ氏が職を去った後も数年にわたって続く。中央銀行当局者は短期的にイランに起因するエネルギーショックに対処しなければならない。欧州で極右政党が台頭しており、フランスで早ければ来年にも政権を握る可能性がある。欧州第2の経済大国のフランスはまた、政治的混乱が起きればさらに悪化する財政危機に陥るだろう。
ユーロは10年に始まったような存続の危機から程遠い状態にある。しかし、ラガルド氏の後継者は、これまでの危機時に考案されながらもまだ一度も使われていない2つの緊急債券買い入れ策、すなわち「伝達保護手段(TPI)」と「無制限国債買い取り策(OMT)」の導入を検討しなければならないかもしれない。
そしてもしもユーロ圏経済が失速すれば、新総裁は段階的な「量的引き締め」策を継続するかどうか、そしてどの程度のスピードで実施するかを決断しなければならない。現在の計画は、過去の危機時に購入した債券が満期を迎えた際に再投資しない手法で、中銀のバランスシートを緩やかに縮小させている。ECBのバランスシートはラガルド氏が就任した19年末時点で4兆7000億ユーロ(約864兆円)と14年から既に倍増していた。それが新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)による景気後退を防ぐ措置によって21年末に8兆6000億ユーロまで膨らみ、昨年末時点では6兆3000億ユーロとなった。
危機の時代にふさわしい理想の中央銀行総裁像を描くのは難しくない。強い経済学の基礎を持ち、学界と公職の双方で数年の経験がある。過去の危機で冷静さと革新の精神を示し、政治圧力に抗してきた実績がある。さらに、妥協を探る調停役にとどまらず、27人で構成される理事会を主導できるだけの強い個性と、確固とした経済観を備える――というものだ。
国籍は無関係であるべきだが淡い期待だ。ECBの次期総裁は現実的に考えてフランス人とはならないだろう。ユーロ誕生以来の総裁4人のうち、ラガルド氏とトリシェ氏の2人が既にフランス人だからだ。また、ドイツのフォンデアライエン氏が欧州委員会の委員長を務め、クラウディア・ブーフ氏がECBの銀行監督委員会の議長を務めているため、ドイツは今回もまた、ECB総裁の職を手に入れられないだろう。この状況はラガルド氏の後継者任命にとどまらない国家間の政治的な取引を暗示している。彼女は実際、ECBの執行理事会メンバー6人のうち任期が来年末で終わる4人の中の1人なのだ。
各国政府は候補者の対象範囲を広げるべきだ。英国が12年にイングランド銀行(中央銀行)の総裁としてカナダ出身のマーク・カーニー氏を選んだように、ユーロ圏は残念ながら外国人を起用できない。ユーロ創設条約はこの職務がユーロ圏加盟国出身の国民でなければならないと定めている。
物議を醸すかもしれないが、民間部門から経験豊かな候補者を探すのも一つの考え方だ。BNPパリバのジャン・ルミエール会長は多くの条件を満たすだろうが、フランス国籍であるために任命はありそうにない。実績のある政治家も適任だろう。例えば、スペインの元財務相で現在は欧州投資銀行(EIB)総裁を務めるナディア・カルビニョ氏だ。また、伝統に反するとしても、ユーロ圏の首脳陣は経済学者を任命するのをためらうべきではない。BISで経済分析の責任者を務めるベルギー出身のフランク・スメッツ氏は有力な候補となり得るだろう。
こうした考え方は高望みなのかもしれない。ユーロ圏の首脳陣はその代わりにクノット氏やデコス氏のようなまた別の中銀総裁を任命するという実務的かつ政治的な伝統に従って安全策を選ぶかもしれない。
しかしながら最悪なのはできる限り波風を立てずに妥協をするだけの候補者で意見がまとまることだろう。将来に控えている状況を考慮すれば、ECBは常に妥協点を探る人でなく強いリーダーが必要なのだ。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)