インドの巨大なアウトソーシング業界で渦巻く雇用危機は、同国の4兆ドル規模の消費主導型経済に深刻な懸念を投げかけている。家計収入と支出の格差が既に拡大している中で、労働市場の激震が金融や市場に甚大な影響を及ぼしかねない。
インドは多くのグローバル企業のバックオフィス業務から不正検知、重要な研究開発に至るまでの幅広い業務を担い、大量の従業員を雇用している。そんな「世界のサービス業の中心地」で、ホワイトカラーの雇用が失われ始めている。
米新興企業アンソロピックなどがより少ない従業員数で、同じだけの業務量をこなせる人工知能(AI)ツールを投入したことを背景に、エコノミック・タイムズは情報筋の話としてオラクル(ORCL.N)が3月にインドの従業員数の5分の1に当たる1万人を解雇し、アマゾン・ドット・コム(AMZN.O)も1月にインドの従業員を500人削減したと報じた。これは人員削減の始まりに過ぎないようだ。
あるグローバル銀行大手の幹部はロイター・ブレーキングビューズに対し、インドの従業員数が3分の1縮小する可能性があると語った。バンガロールやグルグラム、プネなどの都市にあるグローバル企業のオフィスでは離職率が2桁に達しているため、このような事態は1―2年の短期間で急速に進む可能性がある。
金融大手JPモルガン・チェース(JPM.N)はインドに5万5000人もの従業員を擁しており、これは同社の従業員数の約5分の1を占めている。技術職ではインドが全体の約3分の1を占める。HSBC(HSBA.L)の現地従業員約4万7000人は、世界の従業員数の23%を占めている。
さらに「AIデフレ」という現象も起きており、これは通常ならば新卒者を積極的に採用するインドのIT企業の売上高成長の鈍化を指す言葉だ。時価総額約970億ドルの人材派遣首位、タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS.NS)の2026年3月期決算(25年4月―26年3月)の米ドル建て売上高は、04年の新規株式公開(IPO)後で初めて減った。
バーンスタインのアナリスト、ベヌゴパル・ガレ氏とニキル・アレラ氏はインドのモディ首相宛てに先週送った公開書簡で、インドのアウトソーシングとITの両分野で最大1500万人が雇用されており、インドの中産階級を支えているこれらの雇用が生成AIによって脅かされていると警鐘を鳴らした。
これらは主に非正規労働者と農業従事者で構成されるインドの約6億1600万人の労働力のごく一部に過ぎないものの、AIの影響で雇用が減れば有職者の給与にも下押し圧力が掛かることになるだろう。
年間800万人が労働市場に参入するインドで、AIは十分な雇用を創出するという解決困難な課題をさらに深刻化させている。工場の自動化もあり、モディ政権が進める製造業振興策も打撃をそれほど緩和できていない。
インドの年間経済成長率は7.8%だが、経済成長が雇用創出を伴っていない兆候は既に現れている。インド政府がまとめた最新の経済調査報告書によると、オープンAIが生成AIモデル「チャットGPT」をリリースした2022年以降に労働集約度はわずかに低下している。この報告書は労働者がスキルアップしない限り、このようなかい離がさらに広がるとし、その変化は「一過性の衝撃ではなく、静かで、着実な流れ」になるとした。
これは人々の必要ではなく、欲求に基づく支出に打撃を与える恐れがある。民間消費は国内総生産(GDP)の約6割に相当し、インドのベンチャーキャピタル、ブルーム・ベンチャーズによると、その中でも平均年収が約1万5000ドルの上位1億4000万人のインド人が、裁量支出(生活必需品以外の支出)の3分の2を占める。
彼らの収入が少しでも減れば、支出を削減せざるを得なくなり、新築住宅から自動車に至るまでの商品販売や、外食からイベントに至るまでの体験型サービスの需要に打撃を与える。インドの中産階級は料理人や清掃員、運転手を雇っているため、それらの層にも影響が及ぶ。
こうしたサービスへの需要、さらに中産階級にサービスを提供するインドの巨大なギグエコノミーへの需要は後退するだろう。これによって自動車メーカー、消費財企業、金融サービス企業の利益が脅かされることになる。これらの企業とインドの富豪ムケシュ・アンバニ氏率いる複合企業リライアンス・インダストリーズ(RELI.NS)を合わせると、インドの主要株価指数「ニフティ50」(.NSEI)の約62%を占める。消費低迷は既に一部企業に打撃を与えており、インド自動車最大手マルチ・スズキ・インディア(MRTI.NS)は2025年に小型車販売が鈍化し、英日用品大手ユニリーバ(ULVR.L)のインド法人も都市部での需要低迷に苦しんでいる。
今後2年間にアウトソーシングとITの両分野が抱えている1500万人のうち30%が減る恐れがあり、そうなれば主要消費者層が約500万人減の1億3500万人に縮小する可能性がある。
ブルーム・ベンチャーズによる推計年間所得1万5000ドルを前提とすると、転職先や他の収入源を見つけられない場合には主要消費者層の支出が年間約750億ドル減ることになる。インド国立証券取引所のデータによると、これは25年3月期のニフティ50構成企業の純売上高71兆3000億ルピー(7550億ドル)の1割に相当する。
家計全体の貯蓄率は既に低下しており、CLSAの推計によると25年3月期のインド人の可処分所得に占める貯蓄率は23%と、20年前の30%弱から低下。一方で可処分所得に占める負債の割合は55%となり、20年前の31%から急上昇した。
インドは所得水準が低いため、収入の13%を借入金の返済に充てており、これは中国の8.5%や米国の8%を上回っている。
インド人の借入金の多くは資産形成ではなく、消費を賄うのに充てられている。外国旅行から結婚式、スマートフォンの購入に至るまでのあらゆる支出を賄うために借金を膨らませている。
インド準備銀行(中央銀行)が「住宅以外の個人融資」と呼ぶこうした融資は家計債務の55%を占めており、住宅ローンより急ピッチに増加している。インドの家計債務はGDPの41.9%に当たる。借入額の半分が消費関連であるとすれば、家計の裁量債務はGDPの約21%に相当することになる。
これをインドの24―25年度(24年4月―25年3月)の名目GDP331兆ルピーに当てはめると、国内の銀行およびノンバンク全体で69兆ルピー相当のリスクがある融資が存在することになる。
これは貸出金残高が1300億ドルのHDFC銀行(HDBK.NS)をはじめとする金融機関の融資の質を脅かすだけでなく、インドでの事業拡大を加速させている三井住友フィナンシャルグループ(8316.T)や米オルタナティブ資産運用会社ブラックストーン(BX.N)といった外国勢の傘下企業にとっても脅威となる。
AIが世界の労働力に与える影響は、結果的には雇用を創出することになるかもしれない。しかしながらその前に、インドの既に低迷している消費と、かねてより称賛されてきた人口構造を悪夢へと変えてしまう恐れがある。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)