2月8日に投開票された衆議院選挙では、自民党が地滑り的な大勝を遂げた。週明けは円の急落か――と身構えたのもつかの間、早朝のドル/円は157円台で動かず、その後じわじわ「円高」が進む展開となった。9日に一部通信社が、中国当局が同国銀行に対し米国債保有を抑制するよう勧告していると報道したことがドル安を誘発した面もあるようだが、もしそうなら日本の衆院選直後で最も円安加速のリスクが高まっていたタイミングで、むしろ中国当局が高市政権に対してドル安・円高という「塩」を送ってくれたような格好となり、やや首を傾げたくなる。
米TICデータ(対米証券投資)の海外投資家による米国債保有高を国別にみると、中国による保有は2013年の1.3兆ドルをピークに減少し続けており、25年11月末時点では6800億ドルとなっている。中国による米国債離れは今に始まったわけではないとすると、この報道によるドル安効果は限定的と見たほうが良いのではないか。筆者はこの点よりも、高市政権の「責任ある積極財政」に対する市場の見方の変化が円高進行の主な背景にあるとみている。
<高市首相のトーンに変化>
高市首相は解散総選挙に踏み切った1月19日の記者会見で、「本丸は『責任ある積極財政』です。これまでの経済・財政政策を、大きく転換するものです。行き過ぎた緊縮志向。未来への投資不足。この流れを、高市内閣で終わらせます」と述べた。また、飲食料品の消費税率を2年間に限りゼロにする方針も表明するなど、正に「積極財政」に軸足を置いた内容だった。記者から「円安と金利上昇の同時進行」について質問があったが、「マーケットで決まることについてはコメントしない」と述べるにとどめたため、翌20日には長期金利が急騰したことは記憶に新しい。選挙期間中も、「責任ある積極財政」へかじをきることに対する国民の信を問うという点を強調していた。
しかし大勝が確定した選挙当日、開票が進む中で行われたテレビ局のインタビューでは、「食料品の消費減税は公約通り行う」としつつも、これから設置する超党派の「国民会議」で議論し決定すること、赤字国債に頼らないことなどを明言し、「責任ある積極財政」の「責任ある」の部分に軸足がシフトし始めた。加えて、翌9日の記者会見では「円安を容認するともとれる発言」について記者に質問されたが、この回答は興味深かった。これは、1日に行われた応援演説で、円安について「輸出企業にとっては大チャンス」などと円安メリットを並べたことについての質問だったが、高市氏は「為替変動に強い経済構造をつくりたいという考えを示したものであり、円安メリットを強調したものではない」と述べたうえで、「責任ある積極財政なので、責任あるというところが大事」「債務残高対国内総生産(GDP)比を安定的に引き下げていくということを通じて、財政の持続可能性を実現する」「マーケットからの信認を確保していくというのが私どもの方針」などと述べた。
先述した1月の記者会見とはトーンが明確に変化しており、このように、「責任ある積極財政」が単なるバラマキや放漫財政ではないことや、首相自身が市場の信認を重視していることが強調された意味は大きい。
<修正されつつある市場の「ゆがみ」>
総選挙後にドル/円は152円台まで円高が進み、日経平均株価も大幅に上昇した。選挙前までは、積極財政への期待による株高と、財政懸念による金利上昇・円安が続き、突如解散総選挙に打って出た高市氏の判断に対する市場の反応はポジティブとネガティブが混在している状況だった。こうした市場の「ゆがみ」はいずれ修正されていくもので、仮に長期金利の上昇と円安が選挙後に加速すれば、景気への悪影響が懸念され、株価が下落する可能性があっただろう。
しかし、これとは逆に株高と金利高、円高という「ポジティブ相場」に修正されたことは、高市氏の直近の発言が、市場から一定程度評価されたからに他ならない。ただし、今後は選挙公約を実行に移していく段階に入る。「責任ある積極財政」の投資対象は、政権公約に示されている「17の戦略分野」となるが、今後は予算の具体化とともに、やや総花的な17項目からのプライオリティー付けが重要になるだろう。これまでの首相の発言から察するに、「国家安全保障を伴う成長投資」がメインになるとすれば、人工知能(AI)・半導体、航空・宇宙、防災・国土強靱化、資源・エネルギー安全保障・GX、防衛産業などが、中でも重視されるのではないか。予算を巡る今後の動向に注目したい。
<金融政策に対するスタンスも変化>
振り返れば24年9月に行われた自民党総裁選では、候補の一人だった高市氏が「今利上げするのはアホやと思う」と述べたことが話題となった。しかし、首相就任以降は日銀の金融政策に対する直接的な発言はすっかり影を潜めている。物価高対策を打つなかで、実質政策金利をマイナスから徐々に正常化する流れは政府と日銀間で平仄(ひょうそく)が合っており、特に景気を冷やすほどの速いペースでなければもはや異論はないのかもしれない。
ソニーフィナンシャルグループは、今年1回とみていた日銀の利上げについて、6月と12月の2回に変更することとした。年内は1.25%まで利上げが実施されると予想している。介入警戒感と日銀の利上げ観測等が円相場を支えれば、しばらくはドル/円の上値は重い環境が続きそうだ。ドル/円の当面の下値メドとしては、昨年4月の「相互関税ショック」後のドル安局面で付けた139円89銭から、今年1月の高値159円45銭の半値が位置する149円67銭、仮に同水準を下抜ければ61.8%戻しが位置する147円36銭付近といったあたりか。
<次期FRB議長人事の影響>
一方、トランプ米大統領は1月30日、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長の後任として、元FRB理事のケビン・ウォーシュ氏を指名した。ウォーシュ氏は利下げを強く支持する一方で、量的引き締め(QT)により、FRBのバランスシートを縮小すべきと主張している。この、一見相反するような主張は、過去の量的緩和(QE)によるFRBのバランスシート拡大が、市場をゆがめているという副作用に対する課題感が背景にあるようだ。
実際、FRBの資産残高は、リーマンショック前の2008年1月比で、足下は約7倍、コロナショック直前の2020年1月末を起点とすれば約1.6倍と、QTによりピーク時よりは減少したものの、依然として高水準にある。ウォーシュ氏は、政策金利が国債の利回りに影響を及ぼすためには、さらなるバランスシートの縮小が必要と主張しているのだ。この是非はさておき、少なくともトランプ大統領の意を汲んで、無理な利下げを実施するようなことはなく、米国が政策ミスによりスタグフレーションに陥るリスクもほぼ消えたと言えよう。
1月の雇用統計が良好だったことから、市場の利下げ観測は幾分後退しているが、今年から本格化する大型減税・歳出法やトランプ減税の税還付が低所得層の可処分所得を押し上げることが期待されるなか、米インフレは比較的高止まりする公算だ。当社は引き続き、今年6月の利下げをもって打ち止めとみており、年後半には利下げ期待の後退によりじわりドル高が進むと予想している。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルグループの執行役員チーフアナリスト。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析を担当。著書に「〈最新版〉本当にわかる為替相場」、「ビジネスパーソンなら知っておきたい仮想通貨の本当のところ」などがある。
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