日本円の購買力の歴史的な凋落が続いている。毎月下旬に国際決済銀行(BIS)が公表している円の実質実効為替レート(2020年=100、ブロード・ベース)は、今年4月に65.62と、過去最低水準に落ち込んだ。1995年4月に記録した過去最高値の194.20を頂点に、31年間で66.2%もの大幅な下落だ。
BISが公表している円の実質実効為替レートは、日本の主な貿易相手国・地域の通貨に対する名目の為替レートを、それぞれの国や地域との貿易額で重み付けして1本にまとめた後、各国の消費者物価指数を用いて算出される日本円の購買力を表すデータである。
このため、「円の実質実効為替レートが1995年の最高値から66.2%も低下した」という事実は、グローバル市場における円のモノやサービスとの交換価値が、31年前の最盛期に比べて3分の1程度まで目減りしたことを示している。
今年6月下旬に公表された5月分の実質実効円レートは65.93と、4月の過去最低値から若干持ち直していた。ただ、円の実効為替レートを合成する際にBISが用いる貿易シェアが35.5%と最も大きな中国人民元に対しては、円は今年の6月、7月と2カ月連続でオフショア取引開始後の最安値を更新している。
日本の貿易ウエートで第2位のユーロ(11.5%)に対しても、円は4月に記録した過去最安値の187円台から少し落ちただけの185円前後で推移しているほか、米ドル(11.0%)に対する円相場は、6月から7月にかけて約39年半ぶりの安値を記録したことは周知の通りだ。趨勢(すうせい)的な円の購買力低下がもたらす「安いニッポン」現象は、さらに進んでいる可能性が高い。一体なぜ、円はこんなに弱くなったのだろうか。
結論から先に述べると、筆者は日本の少子高齢化によって進んでいる総合的な国力の低下が、円の実力低下の根本的な原因なのではないかと推測している。先述のように、日本円の実質実効為替レートは、1995年4月を境に上昇基調から下降局面に移行しているが、日本の15―64歳の生産年齢人口も、ほぼ同じ時期にピークを打ち、その後の約31年間で8699万人から7330万人まで1369万人も減少している。
日本全体の人口が減少する中で、経済発展の原動力となる働き盛りの割合が低下すると、長期的にみた経済の期待成長率や自然利子率が下がって、日本の個人や企業による長期投資マネーの海外流出超過が常態化する一方、我々が暮らしていく上で不可欠な生活必需物資やデジタル基盤の自給力不足を補うため、貿易・デジタル収支が赤字体質になって、為替需給の面から構造的な円安圧力が発生していると推測される。
そのような認識の下、1975年以降の日本の生産年齢人口と実質実効円レートの相関を用いて大雑把な関係を調べると、約1%の人口減少で円の購買力も1%程度低下する傾向があった。今後も円の実質実効為替レートは国内外の景気循環や金融政策サイクルのズレを反映して、数年単位で上下2―3割程度の振幅を伴った循環変動を繰り返すだろう。
ただ、日本の生産年齢人口の減少を背景に進む国力の低下に歯止めを掛けなければ、世界市場における円の購買力は今後も趨勢的に低下し続け、今から半世紀以上前の日本人が感じていたよりも大きな国内外の物価の格差がさらに広がる可能性がある。
仮にそのような筆者の推測に誤りが無ければ、過去31年間にわたって進んでいる円の実力低下に歯止めをかけて反転させるのは、容易ではなさそうだ。政府が保有している外貨準備は、過度な円安による痛みが国民生活に走った際に処方する鎮痛剤として備蓄されている国の資産なので、時宜に応じた外貨売り・円買い介入を実施することに意義はあるが、介入原資には限りがあるので無限に続けられる訳ではない。
また、日本政府が保有する外貨準備の内訳は大半が米ドルだと推測されるので、近年のクロス円市場で進んでいる記録的な円安ラッシュの面倒までみるのは難しい。政府による外貨売り介入は、あくまでも局所的かつ一時的な時間稼ぎの応急処置としての円安対策にしかならない。
このため、中期的な観点で有力な円安防御策としては、現在主要国で最も深い実質マイナス圏に沈み込んでいる日本の政策金利を最低でも政府・日銀の長期目標である2%を超える領域へ引き上げていく必要がありそうだ。ただ、日銀があまり急激に利上げすると人口減少の影響を大きく受けている地域で中小企業や小規模事業者の資金繰り倒産が増える可能性があるほか、政府債務の利払い負担が増えて財政赤字の拡大リスクも高まる。
日銀による金融政策の正常化は、構造的な円安圧力を除去する施策としてみれば有力であり、生産性の低い企業群の淘汰を利上げによって促すことは、経済学的にみると正しい選択肢かも知れない。だが、小選挙区に基盤を置く政治家の目からみて許容できないオプションになるかもしれず、政府債務の削減と同時に進めなければ財政悪化のリスクが円の価値を棄損する可能性もある。日本では長く続いた超低金利の時期に個人も企業も政府も「金利の無い世界」に馴染んでしまったので、実質マイナス金利政策を今後解除して行く際には、各経済主体や市場の反応も見極めながら慎重に進める必要があるだろう。
このため、日銀による実質金利のマイナス解除に耐えられるだけの基礎体力を日本が取り戻すために必要な長期の対策として、政府の財政規律に対する市場の信認確保や長期投資マネーの日本回帰につながる財政資金の使い道を示すことも重要だ。
国際経済学の教科書通りなら、資本移動を自由化している国の政府が財政拡張に動くと通貨は買われるはずだが、「責任ある積極財政」を掲げる高市内閣の発足前後に円相場がセオリーと逆の方向に動いたのは、平均的な為替市場の参加者が日本の財政規律に疑念を抱いていることの証左であると推測される。高市内閣が今後、食品の税率を一時的に1%に引き下げたり、国防支出を増やしたり、戦略17分野への官民投資を促進したりする際には、具体的な財源措置を市場に示すことが必要だろう。
また、今後の日本の財政資金の使途を、「円安対策」という目的に絞るなら、為替需給に直接響く施策を模索する必要もあるだろう。1)我々の日常生活から恒常的に染み出るドル需要の発生源になっている外国産の燃料購入を減らすべく、日本国内での再生エネルギーの開発に巨額の財政資金を振り向ける、2)日本が高い国際競争力を保っているサブカル系のデジタルコンテンツの海外普及活動に財政支援を集中してデジタル赤字の削減に努める、3)個人マネーを貯蓄から投資に向かわせる目的で導入したNISAやiDeCoなどの制度を、国内資産への投資に重点を移した設計に一部変更する、4)海外から国内に生産拠点を移す多国籍企業への税制優遇を一層拡充する――などが考えられる。
もっとも、超長期的な視点からみた場合、過去30年以上も続いている円の購買力の趨勢的な減耗は、少子高齢化によって不可逆的に進んでいる国力低下の所産である可能性が高い。このため、上記に挙げた諸々の政策オプションなどと同時並行の形で、日本の生産年齢人口の減少に歯止めを掛け、増加に転じることを促す施策が必要だろう。
「少子高齢化で働き手の数が減っても、技術革新によって1人当たりの生産性を上げれば、経済成長率や自然利子率が高まって国力を高めることが出来る」という議論はよく耳にするが、人工知能などを活用した経済力の強化には、外国も力を入れている。日本の取り組みによる成果が外国を凌駕できなければ、相対的な意味での国力の向上には結びつかない。
よって、一見すると遠回りのようにみえても、日本の国力衰退の根本要因である人口減対策に我々の税金を使うのが、最も有効な円安防止策になるのかもしれない。本稿の最後になって「そもそも論」を蒸し返すことになってしまうが、現在日本で進んでいる少子高齢化を所与のものとは考えず、外国人労働者や移民受け入れ態勢の見直しなど、国論を二分するような難しいテーマに正面から向き合う姿勢も必要だろう。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
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